オピニオン 21








板垣與一記念館:館長
宇佐見 義尚 拝
up date 2019.11.08




「大学教育を考える」(1)「学生中心」への転換期
https://www.jomo-news.co.jp/feature/shiten/95563



  大学教員として在籍した35年間を通じて、片時も頭から離れなかったことは、「学生にとって大学とはなにか」
ということでした。もちろん、大学そのものは、学生のためにだけあるのではなく、大学の使命が研究、教育、社会貢献に
あるわけですから、先の視点は、厳密には「学生にとって、大学教育とはなにか」という問題提起になります。

 その結論を、私は「大学教育は、学生一人一人の成長のためにある」との理念のもとに学事日程、
カリキュラムの再構築を一貫して提唱してきたのでした。日本の多くの大学では今なお、学事日程は学生に合わせるよりも
大学側の都合に合わせ、カリキュラムも学問体系に即してそれを研究する教員に都合よく編成される傾向にあるからです。

 特に、カリキュラムについては、長年にわたって日本の大学では学問(ディシプリン)中心の体系で
編成されてきているのでそこでは学生の存在は軽視、ないしは排除せざるを得ません。例えば、経済学部ですと、
経済学という学問体系に基づくカリキュラムが作られ、教員も学生も何の疑問を持たずに、当然のように
教員は経済学を教え、学生は経済学を学ぶという立場です。学生がなんのために経済学を学ぶのかの
根本的動機付けを深める視点が弱く、また経済学を学生が成長していくための「手段」として学び取るという発想はほとんど見られません。

 その結果として、日本の大卒者は企業から「即戦力として使えない」との烙印(らくいん)を押されてきたのでした。
このことは、のちに文部科学省によって「学生に何を教えるのかではなく、学生が何をできるようになるか」を
大学教育の核心に据えるという提唱を強いられる要因の一つになっているわけです。

大学側も、このことに気づき、2001年に静岡大が「就職概論」を、立教大が「仕事と人生」を、
翌年には亜細亜大が「人生と進路選択」という正規科目を新設しました。いわゆるキャリア教育科目が教養科目、
専門科目と並ぶ第3の教育科目群の位置付けでスタートしたのでした。このキャリア教育科目こそが、
その後の日本の大学教育改革全般の要として重要な役割を担うことになります。

 キャリア教育とは学生一人一人の卒業後の進路選択に、直接に関係することなので、
大学教育における学生個々人に対する多様な対応(教育プログラム)が不可欠になります。ところが、
「学問中心の大学教育」では、学生個々人の事情は
ほとんど考慮されることはないので、学生は強い疎外感に襲われ、急速に授業内容に興味をなくしていくことになります。

 キャリア教育が、大学教育を「学問中心の教育」から「学生中心の教育」への転換を促す
切り札になることがはっきりと分かってきました。


板垣與一記念館館長 宇佐見義尚 安中市松井田町人見

【略歴】知的障害者施設「清涼園」職員、亜細亜大経済学部教員を経て現職。
東京都武蔵野市社会教育委員の会議議長。ジジババ子ども食堂主宰。高崎経済大卒。

2018/11/28掲載



大学教育を考える(2)「高大断絶」こそが必要
https://www.jomo-news.co.jp/feature/shiten/106464



高校教育と大学教育の「接続」や「連携」が、多くの大学教育と高校教育の現場で行われています。
大学教員が高校へ出向く「出前授業」逆に高校生が大学へ出向き大学の授業を体験する「体験授業」というものです。
それぞれに出前授業用の授業と、体験授業用の授業が、高校生のために新規に作られて行われるのが通常です。
なんのために、こうした「授業」が行われるようになったのかは、表向きには高校教育と大学教育を接続、連携させて
高校生が大学入学後にスムーズに大学教育に入っていけるようにすることとされています。

 しかし、このことによって、大学側も高校側も、失うものはあっても得るものは極めて少ないと、私は懸念しています。
大学側は、あたかも受験生集めの連携・接続によって「大学本来の仕事」に支障をきたし、高校側も
「高校教育としての本来の役割」をこうした一種の大学進学対策によって妨げられてしまいます。この場合、
「高校教育の本来の役割」とは何かというと、現在、高校進学率が平均で97%を超えていることから、高校はむしろ
「義務教育として」の高校教育課程とすべきであり、「義務教育」の最終段階としての役割こそが、
「高校教育の本来の役割」なのではあるまいか。

 高校教育関係者には、こうした発想はなく、進学校・中堅校は相変わらず大学入試に、その教育目的を絞り込んでいます。
大学受験によって、高校教育がゆがめられていると指摘されるゆえんです。他方で、多くの大学では、
18歳から22歳までの若者で学生の大半が占められています。少なくない学生たちは、その進学動機も曖昧なまま、
ましてや将来の就職進路を考えて大学を選択したのではなく、大学の4年間でゆっくり卒業後の進路を考えるという
一種のモラトリアム学生になってしまっています。その流れに押される形で、大学教育におけるキャリア教育の義務化が
実施されているといっても過言ではありません。

 しかし、「本来の大学」は、さまざまな年齢層の学生が集まり、それぞれに自由な研究テーマを追求する
学問の府であるべきです。日本の多くの大学の現状は、極端に偏った年齢層の若者たちの就職のための予備校とすることに、
「現実論」として、それなりの説得力を持たせてしまってきています。  高校教育を義務教育として再構成し、義務教育の最終段階として完結させることで、大学教育とは、ひとまず「断絶」した関係に置く―。
この「高大断絶」によって、日本の大学は、「高校4年生」と揶揄(やゆ)される新入生への
重苦しい教育のくびきから解放されて、大学本来の自由な学問の府としてその輝きを増していけるものと確信します。


板垣與一記念館館長 宇佐見義尚 安中市松井田町人見

【略歴】知的障害者施設「清涼園」職員、亜細亜大経済学部教員を経て現職。
東京都武蔵野市社会教育委員の会議議長。ジジババ子ども食堂主宰。高崎経済大卒。

2019/01/19掲載



子ども食堂の可能性 温かさ生む「居場所」に
https://www.jomo-news.co.jp/feature/shiten/118879



本年2月現在、群馬県内に「子ども食堂」が、43カ所あります(県子育て・青少年課調べ)。
日本全国では、昨年4月時点で2200カ所を超えていましたので、1年後の今日では3000カ所を
超えているのではないかと言われています(2月10日に東京都豊島区で開催された「子ども食堂サミット2019」での報告)。

 子ども食堂は、東京都大田区で近藤博子さんが2012年に始めた「きまぐれ八百屋だんだん」が最初ですから、
この7年間で、自然発生的な民間主導で一気に増えたことになります。なぜ、このように増えたのかは、
子どもの「相対的貧困率」が7人に1人と高く(15年、厚生労働省調査)、また1人で食事をする
「孤食」の子どもが増えていることが主な要因として挙げられています。

 しかし、貧困問題だけで子ども食堂がここまで急激に普及してきたとは思えません。
別な何かが私たちの地域社会の中で起こっていることが影響しているように思えてなりません。
私が、2年前に安中市で「子ども食堂」(ジジババ子ども食堂を始めた動機も、
実は子どもの貧困問題への対応というよりは、子どもと保護者にとって、また高齢者にとっても、
地域に根差した「緩やかな居場所」の存在が、地域住民の日常生活に安定感を醸成してくれる
一つのきっかけになるのではないかと考えたからでした。

 安定した高度な市民生活のためにはそうした「居場所」が不可欠なほどに、現代社会の日常の中で
人々の間の温かな結びつきが薄れてしまっているのではとの危機感がありました。
日常生活での人々の絆を取り戻すために、子どもを中心にした食事会が、どれほど効果的で有益であるかは
子ども食堂を開催するたびに実感してきたことでした。群馬県の行政機関においても、この点については同様な方針で、
17年から子ども食堂への本格的な施策(子どもの居場所づくりへの財政的支援)に乗り出していることは周知のことです。

 子ども食堂は、単に子どもの貧困問題への対応に限らず、地域づくりの要としての可能性、包括的な社会福祉向上を
促す可能性、社会教育としての可能性を持った、より良い社会をつくるための切り札になるのではないかと思います。
もちろん、こうした大上段に構えての子ども食堂の運営はいただけないにしても、現代社会における子ども食堂の
意味と意義を「子ども食堂の可能性」という観点から評価しておきたく思うのです。
 
子ども食堂をテーマにした映画が2本作られています。
「こども食堂にて」(18年)と「こどもしょくどう」(19年)で、いずれも推薦したい秀作です。


板垣與一記念館館長 宇佐見義尚 安中市松井田町人見

【略歴】知的障害者施設「清涼園」職員、亜細亜大経済学部教員を経て現職。
東京都武蔵野市社会教育委員の会議議長。ジジババ子ども食堂主宰。高崎経済大卒。

2019/03/16 掲載




「ヴェーバー研究 本質捉える道しるべに」
https://www.jomo-news.co.jp/feature/shiten/132785



ドイツの社会科学者マックス・ヴェーバー(1864~1920年)研究が、近年再び活発になっています。ドイツ語圏はもとより、英語圏、日本語圏でのヴェーバー研究は、第2次ヴェーバー・ルネサンスと呼んでも良いかと思われます。

 生誕100年にあたる64年前後の第1次ルネサンスを経て、76年に『ヴェーバー全集』の編集委員会がミュンヘンのバイエルン科学アカデミーに設置され、84年に第1回の配本が開始されました。全集は最終的には3部構成43巻全54冊で、2019年現在、残り2冊を残してまもなく配本を完結する予定です。

 全集の出版事業そのものが、独自な編集理念と方針を含めて、構想から完結までに43年余りをかけたドイツ社会科学界の一大金字塔であることに間違いはありません。

 さて、ヴェーバーは、日本の学界においても経済学、社会学、政治学、歴史学、宗教学、学問論(社会科学方法論)を学ぶ上で避けて通れない「知の巨人」の1人としてその地位は今なお揺るぎがありません。一般にも日本の政治家が時々「職業としての学問」「職業としての政治」というヴェーバーによる講演(1919年)録の一節を引用することで知られています。

 ヴェーバーの研究業績の中心は、ヨーロッパに特有な「近代資本主義」を文明論としてその本質を解き明かしたことにあります。ヴェーバーの研究が、なぜ、現代の日本においてもそれほど熱心に関心を持たれて研究されるのか。日本人である私がなぜ、150年も前の、しかも遠いヨーロッパ社会に生きたヴェーバーを研究するのか。その理由は、ヴェーバーによる「近代資本主義」の研究が、私が生きる日本の「現代資本主義」の本質を突き止めるための方法論として、不可欠な研究であると考えるからなのです。

 日本の現代資本主義の文明論的本質をヴェーバー的に理解することなしに、日本の「現実」を「ありのままに」に捉え、そこから生じているさまざまな社会的問題や課題を解決する実践的な対策は立てられません。

 私がヴェーバー研究に取り組むきっかけは、板垣與一(1908~2003年)に師事して最初に与えられたドイツ語原書講読のテキストがヴェーバーの「社会科学および社会政策認識の客観性」であったことに始まります。

 そこには、「知的誠実性」「職業倫理」「禁欲」「合理性」「真の勇気」を修めた人間類型の体現がありました。また、ヴェーバーが実際に生きた時代の問題にどのように立ち向かったのか、日常に埋没することなく、日常から逸脱することなく、現実の緊張の中に生きる、その「生きざま」の中から、私は「情熱」「ひらめき」「明晰(めいせき)」を私の人生の指針とすることを決めたのでした。

  

板垣與一記念館館長 宇佐見義尚 安中市松井田町人見

【略歴】知的障害者施設「清涼園」職員、亜細亜大経済学部教員を経て現職。
東京都武蔵野市社会教育委員の会議議長。ジジババ子ども食堂主宰。高崎経済大卒。

2019/05/20 掲載




人口減の時代に 「自然と人間」問い直す
https://www.jomo-news.co.jp/feature/shiten/148020



総務省が、2019年1月1日時点の住民基本台帳に基づく人口動態調査の結果を発表しました。国内の日本人は1億2477万6364人で前年より43万3239人の減少。群馬県は192万4605人で前年より1万2471人の減少になっています。都道府県別では人口減がない自治体は埼玉、千葉、東京、神奈川、沖縄の五つのみ。18年生まれの日本人は92万1000人で、3年連続100万人を割っています。しかも65歳以上の割合は28%に上昇。まさしく少子高齢社会の現実です。

 日本の総人口は、明治元年にあたる1868年の3400万人から増え続け、1967年に1億人を超えたとされます。冒頭の調査では、日本人は2009年の1億2707万人をピークに減少傾向に転じています。国連人口部によれば、日本の人口は2100年には7500万人になると推測されています。

 政界の大方は、人口減少に対しては国力維持の観点から最低でも1億人を政策課題としてあげます。財界では、一定の経済規模確保の観点からこれ以上の人口減少は避けたいとの主張が大勢を占めています。そして一般的には、少子高齢社会が直面しているさまざまな社会的課題(子育て、教育、雇用、働き方、年金問題、社会保障、高齢者福祉、医療)へのマイナスイメージや漠然とした不安が先行しているように思えます。

 そのありさまは、まるで少子高齢社会の現実におぼれてしまい、すっかりその日常の中に埋没して身動きが取れなくなり、もがき苦しんでいるようにも見えます。そうした思考状況の中からは、容易に斬新な発想は期待できませんし、ましてや百年の計はとうていおぼつきません。

 そこで少子高齢社会の現実に埋没もせず逸脱もしないギリギリのところで、日本における「自然と人間社会」のあり方という第三の観点から、日本の少子高齢社会、人口減少について、再検討してみてはどうかというのが私の提言です。

 日本の自然(国土)は、およそ80%が山岳地帯で人の住める里は20%に過ぎません。そうした国土の日本では、自然に負荷をかけずに、つまり「山を崩さず、空や川を汚さない」で、人々が歴史や文化をおろそかにせず、最先端の科学に支えられて快適に暮らすために、どれほどの人口規模で暮らすことが良いのでしょうか。

 こうした観点から2100年に向けて、「人口8000万人の国づくり・地域づくり」を、今から80年をかけて緻密に計画していくことを提案します。少子高齢社会という現実を私たちはどのように受け止めて、将来に生かしていけるのか―。こうした少子高齢社会に対する大局的な観点こそが、今の私たちにとって、最も必要な課題であるように思います。



板垣與一記念館館長 宇佐見義尚 安中市松井田町人見

 【略歴】知的障害者施設「清涼園」職員、亜細亜大経済学部教員を経て現職。
東京都武蔵野市社会教育委員の会議議長。ジジババ子ども食堂主宰。高崎経済大卒。

2019/07/24掲載




子ども食堂共同農園 百年続く笑顔のために
https://www.jomo-news.co.jp/feature/shiten/172059





2017年9月に板垣與一記念館の付属「カフェ南ケ丘」を使い「ジジババ子ども食堂」を開店しました。毎月2回、最終土・日にランチを平均30食と比較的小規模です。近所の農家や家庭菜園の支援を得て米・野菜・菓子などの無償提供をいただきながら「みんなで子育て」を合言葉に、多くの人のボランティア精神に支えられた活気ある食堂として2年が過ぎました。

 運営も軌道にのり、安定した日々が過ぎていった昨年のある日のことです。「野菜を自分たちで作れないか」「野菜づくりの畑から、子どもたちにとってたくさんの大事なことが体験的に学べるのではないか」。そんな思いを抱きました。

 「子どもたちに腹いっぱい食べさせてくれ」と、いつも米や野菜を届けてくださる「プロの百姓(85歳)」が口癖のNさんに相談したところ、二つ返事で「それはいい。畑は俺が探してやる」と始まったのが、「安中子ども食堂共同農園」(10アール)でした。

 18年6月から土づくりの準備が始まり、9月には白菜100本、ブロッコリー50本、ロマネスコ5本、玉ねぎ2千本の苗を定植しました。子ども食堂でランチを食べた後、それぞれ思い思いに農園に集まり、にぎやかな「農育」の試みが始まりました。

 昨年の日照りには、水やりに失敗して何本もの野菜苗を枯らしてしまいましたが、12月に初めて白菜を収穫することができました。顔よりも大きくてズシリと重い白菜を抱えて離さない子どもの笑顔が、農園中に広がりました。

 こうした共同農園の活動が、その後1年余りで安中市に三つ目の子ども食堂ができ、8月に四つ目の開店準備が始まった原動力になった気がします。四つ目は11月3日に開店初日を迎えました。

 共同農園での多彩な野菜の自給は、子ども食堂の食卓をこれまで以上に豊かで活気ある「食育」の場にしてくれています。現在、市内四つの子ども食堂が連絡協議会を作り、共同農園の本格的な運営に乗り出しました。基本理念は「大人の責任で、子どもたちの未来を創る」です。子ども食堂のための「野菜栽培100人プロジェクト」と「上総掘り井戸100人プロジェクト」を立ち上げました。すでにそれぞれに全国から200人を超える賛同者署名が集まりました。

 日本の働き方改革、教育改革、人生設計の在り方を決める土台に「人生百年時代」を据えようとの政府の思惑を感じさせる動きがあります。「人生百年時代」を迎える可能性を持てる私たちは、それどころではない多くの人たちのために地球規模で何ができるかを考え、同時に「人生百年時代」プランの基本枠組みを子どもたちの未来の創造とするならば、政府の思惑もまんざらではありませんし、大いに賛同したいところです。

 

板垣與一記念館館長 宇佐見義尚 安中市松井田町人見

 【略歴】知的障害者施設「清涼園」職員、亜細亜大経済学部教員を経て現職。
東京都武蔵野市社会教育委員の会議議長。ジジババ子ども食堂主宰。高崎経済大卒。

2019/11/08掲載